努々疑うことなかれ

勢いとノリだけで書いてます

やりがいと基本指針

仲良しの永瀬担はいつだって的確。

元太を見ているとき松倉くんが視界に入ってくることを「紅茶飲んでるときにでっかい砂糖の塊に出会ったみたい」と言うし、視点を置く場所で見え方が全然変わって見えるとらじゃのことを「ルビンの壺」と表した。

私はこの永瀬担の感性がだいすきで、だからこそちょっぴり悲しくなったんです。

 

「今の松松厨って何にやりがいを感じているの?」

 

そう言った彼女はこちらを貶めるなんて微塵も考えていない むしろ純粋な興味で聞いてきたようでした。

悲しくなったのはこの発言自体でなく、この発言に あっちょっと痛い.......と思ってしまった自分に対してです。以前の私なら自信満々に返せていた松松はこんなに尊いんだぞエピソードを"今"に限定されるとパッと返すことが出来なくて。

 

思えばとらじゃ加入前、松松のふたりは他に友達いないんか?という程にお互いのこと・ふたりのことをずっとずっとこれでもかと話していて、振り返ればそれは貴重な歴史の山になっていました。

 

「松松で振り付けもしたいし、自分たちで構成を考えてコンサートをしたい。もっと前で歌って踊りたい。」と自分の夢には隣にいる人が決まっていて、喧嘩して仲直りすれば「悪いけど俺たち最強だよ」ってじぐいわ相手に言っちゃって、SHOCKに相方が出るとなれば当時高校1年生にも関わらず大阪まで飛んで、「最近つくづく思うのは今こうして2人が揃ったのがほんとに奇跡なんだってこと。」なんて平然と言ってのけて、、まだまだまだあります。こんなの本当に一部。

 

今、松倉担としては(再)降りたてホヤホヤいちばん楽しい時期でやりがいもめちゃくちゃ感じているんだけど松倉くんと同じ熱量で松松を見ることが出来ているのかというとそう頷けなくて、これを私の気持ちの問題と片付けてしまったらもう本当に仰る通りだしそこまでなんだけど、一歩踏み込んで考えたとき環境の変化というのが大きくあるんだろうなぁと考えていて。

 

グループに加入したことで松松に第三者が登場しました。第三者とはいちばん松松に近しいであろうメンバーであって彼等発信の松松を否定出来る存在は今のところいないでしょう。

 

松松に第三者が存在したのは、セク松のときの聡ちゃん・寺松松のときのテラ・Travis Japanになってからのメンバーと大きく分けたらこの三期だと思われます。

セク松や寺松松のときはエピソード量産マシーンだった松松ですがTravis Japanになってからなぜかいきなり稼働が少なくなって、その理由に仮説をいくつかたてました。

とらじゃメンバーは松松のことを松倉くんと元太ではなく、まず松松として見ているため松松が松松にプレッシャーや照れを感じたりしているのではないかとか。とらじゃメンバーが松松を分かりやすく伝えようとした結果、説明過多になってしまって我々が感じられる余白の部分が無くなってしまったのではないかとか。グループに入ったことによって松松で目指していた道は終わり、とらじゃで目指す道にシフトチェンジしたため今までのような切磋琢磨をする必要がなくなったのではないかとか。

そのどれもが分かるようでいまいち腑に落ちなかったりでもこれ以上を考えられる頭もなく.......。そしてこの全てが複合的に絡み合ったら仮説として有り得るものだと思うようになって。どれが良い悪いの話でなく。

 

これはもう捉え方によるので私においての話にしかなりませんが

私が愛した"友達でライバルで切磋琢磨できる運命シンメ"という松松はもういないのかもしれません。

それでも私は松松がすきで、松倉くんがすきだから松倉くんが大切に育ててきた松松を諦めたくないという一種の執着心やただ単にすきな人とすきな人の組み合わせだからすきという単純な理由だったりを孕むいろんな理由の"すき"です。

これについて「なんですきなのか?」の問は愚問でしかありません。

 

ただこれからの松松にどう向き合っていくかは考える必要があるでしょう。私のおたくスタイル確立のため。

松松が何を感じているのか、それはふたりにしか分からないことでどう足掻いたってもうどうしようもないことですが、存在しない松松に想いを馳せたところでそれは私にとって意味を成しません。価値なき行為です。

だって私は松松のことを全然知らない。知りたいとても。

現在に目を向けて松倉くんを主軸にしたときそっと隣に存在を感じ取るような、そんな愛し方が私含めた誰の負担にもならない気がします。

これはみんな共通の話じゃなくて私の話ね。

 

松松は考察対象としてものすごく興味深い。だから何かに作用された松松は松松じゃないように感じていました。勝手に。

そうじゃなくて周囲の環境も含めての松松なんだなと思ったら、何がどう作用して働いてここに至ったのかそれをじっと観察する必要があります。今までより大変になるでしょう。見るべき対象も考えるべきことも増えて。

でもそれがきっと私にとってのやりがいなのです。

 

「今の松松厨って何にやりがいを感じているの?」

 

あのとき答えられなかった問にも今なら胸を張って意気揚々と(多少答えになっていなくても)こう答えるでしょう。

 

松倉くんと松松を中心にTravis Japanを見るのは面白い!