努々疑うことなかれ

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努力信者

ディスりの言葉だって分かってる。

でも大体人を蔑むときに使われるパワーワードは言葉先行で中身が伴ってない。

「努力信者」という言葉をディスに使う人の多くが思考のワンパターンさを指摘したくなるような人たちだった。それは言葉に対する認識の甘さ。

 

このブログは今日のツイートのまとめ・補足みたいなものです。

 

私は松倉くんを努力信者と思います。

「頑張っていること」が絶対ではなくとも評価基準としてかなり高くに置かれているんです。

結果が伴わなくとも努力をしていればそれを魅力だと感じそうだし、逆に努力せず結果を得ている人には興味がなさそう。

 

元太「オレら、本気で第2の"修二と彰"をめざそうよ!」

松倉くん「本気で言ってるなら、『ジャニーズ・ワールド』の稽古場でふざけるの、そろそろやめようか。」

本当にアイドル誌?な松倉くんのガチ説教具合。

努力をしている人がすきだから、元太が少しでもそれ(松倉くんの中の頑張ってるのに基準)に反すると苛立つ。終いには距離を置いて関係を絶とうとするんですよ。

話聞いてる感じ、松松大喧嘩もそんな感じだったんだろうなあと思います。

 

人間、大抵は結果が出ていればそちらに惹かれるものなのに、そうじゃなくてその結果までの過程をめちゃくちゃ重視する。

私なんかは結構結果も合わせて見ちゃうから、松倉くんのことを情に厚いなと感じます。だって結果がどうであれ頑張ってたら評価くれるんだもん。そんなの中学校で終わりだと思ってた。

 

その代わり自分が頑張ってないと判断した人にはとことん冷めていてそういうところはシビアだなと。でもちゃんとやってたら認めてくれるのは慈悲深い。

それにこういう時に厳しくジャッジをくだし心根は温かくというメリハリのある関係の方が"やさしい"。なんとなくで誤魔化されたりやりすごすような お互いに我慢の生じる関係はつらいです。

 

 

松倉くんは頑張る。

それでいて自分の努力を認めてあげられる。

自分の努力を当たり前と思わずすごい!偉い!よく頑張った!って自分を褒めてあげられる。

それでも向上心は失わず上を目指せる。

 

今までは"対 人"の評価の話、今は"対 自分"の評価の話。

 

モーニング娘。がすきなんですけど、パフォーマンス動画のコメント欄を見ると「これがアイドルの当たり前。これが出来てないやつはアイドルじゃない」みたいなものが散見されてうんざりします。なんで彼女たちを純粋にすごいと褒めてあげられないんだろう。モーニング娘。すごい!でいいじゃない。

 

松倉くんは上手に自分を認めています。

これは出来て当たり前なんだ。もっともっと.......。と追い詰めてしまうんじゃなくて、これ出来たのすごいじゃん!次も頑張ろ!って感じ。すごく健康的ですよね。

 

根幹にあるのはなんだろうと考えてみたらそれは多分謙虚さでした。

モロに勧められた映画を半澤くんとジェシーくんと観に行って、ふたりは大号泣 なのに自分は泣けなかった。心の未熟さを感じて"絶対泣ける日本映画・第1位"を借りてきたら泣けた。やっぱり1位の実力は違う。

みたいに話していたことがあって、このテキストには松倉くんすきすきポイントがたんまり詰まっているんだけど全部スルーして、最後の「やっぱり1位の実力は違う。」に注目してほしくて。

泣けなかったら自分の心の未熟さと思うけど、泣けたら映画の実力だと思うところ。謙虚。

 

だとか、松倉くんがなんか吹っ切れた!って言ってたテキスト。あれもこのタイミングで吹っ切れたのは神様の思し召しかもしれないと言っていて。そういうところ。

モヤモヤしていた霧が晴れたのなら晴れた道まで歩いていった松倉くんの功績なはずなのに、「神様の思し召し」.......。謙虚。

 

松倉くんがいるのはわりと運ゲーな世界で、だから努力だけでどうにもならないこととか多分めちゃくちゃ思い知ってる。私たちが知らないところでも思い知らされてる。

だからだと思うんです。環境と運に感謝を忘れない。

 

私は思考が足りないので誰かの言葉を借りることしか出来ないのだけどハイキューで言い換えると北信介さんの「俺を構築すんのは毎日の行動であって"結果"は副産物にすぎん」は松倉くん(概念)だなと思います。というか北信介さんは松倉くん(超突飛理論)。

 

ダンス未経験でジャニーズに入った松倉くん。

「ダンスは自分の趣味だけど、"一番後ろの列で踊っていた自分がもっと前にいくには、とにかくダンスをがんばるしかない!"って思ったんだ。そこから無我夢中でダンスの練習をしたよ。コンサートの空き時間とか楽屋でゲームとかしてるジュニアが多い中、そういう時間もひたすら練習にあててたな。」

このエピソード、松倉くんが自分のしてきた努力に自信を持っているんだろうなとひしひしと感じられてすきです。周りを下げるでもなく自分を卑下するでもなく堂々とそして淡々と語られる努力エピソードはただの事実。

 

そうして掴んだ環境。例えばセクバやトニトニやセク松。それは"副産物"かもしれなくてもそこに対する熱のこもった気持ちはあって、嬉しいときは雑誌の近況でずっとそのこと話してくれて「うれしい!」を共有してくれるし、悔しいときは密かに努力の源へとまわして.......。

いくら過程が大事と思っていても結果に想いがあるところもいいなぁ。

 

もうひとつ、北信介さんですきな台詞があって。

いつやったか聞かれた事があった

「自分はレギュラーでは無く後輩に天才が居て辛いと思った事はないですか」

そもそも天才の定義がわからんけど聞かれとる意味はわかった

「侑達のような奴」について「理由なく最初から優秀」なんやと思とる奴がたまに居る

けど俺が毎日1から10やっとるところを侑みたいな連中は1から20やっとんねん

或いはより効率的な10 密度の高い10

ほんでたまに「1から10やなくAからZやってみたらどんなやろ?おもしろいんちゃうか??」って考えたりする奴らやねん

それで失敗しても 時に他人に嫌われても疎まれても 正しくても 正しくなくても

俺らやったら大事にするようなナニカを蔑ろにしても

やらずには居れん奴らやねん

喉から血ぃ出ても走りたくてしゃあない奴らやねん

世の中敵わんと思う人達はいっぱい居って

そういう相手を凄いなあと思うのは当然や

「突っ走れる」事は才能やと思うし あいつらを何て呼んだってええねん

"天才"は悪口やないしな

けどあいつらの事を「最初から優秀」なんやと思う事は勝負するまでも無く負けとるちゅう事やし失礼やと思うねん

 

松倉くんは「天才」を「理由なく最初から優秀」なんて思っていなくてそこにそれだけの"努力"があると分かっているんです。「天才」を「最初から優秀」だと思うことは負けだし失礼というのも分かっている。

そこを分かってるから"ちゃんと"やる。"ちゃんと"やるから自信がある。「できる!」という自信でなく失敗を恐れない自信。

 

 

松倉くんは努力信者です。

努力で全てがどうにかなるとまでは思ってないし運が必要なのも環境が必要なのも、でも努力がなきゃ何も始まらないのも知ってる。

ちゃんと他人の頑張りを汲み取れる。結果が伴わなくとも頑張りを認めるしその人が上手くいくよう邪魔をしない。

努力が報われたとき、自分の努力に自信を持って周りに感謝する。

 

「努力信者」をディスで使ってる人は多分松倉くんみたいな人がいることを知らないんでしょう。

努力だけに偏らず 努力を蔑ろにもせず、バランスがいい。

個人的には松倉くんのような人が努力信者だと褒め称えられてほしいし、松倉くんで「努力信者」のイメージを一新できたらいいのになと思います。